楽器が思うように上達しないときのために

あるコンサートを行うとします。そのコンサートのパフォーマンスを最大化するにはどうしたらいいでしょう?

こんなことをよく考えます。5年前のぼくだとおそらく技術的レベルアップとか新しい奏法とか、曲の内容についての答えを出したと思います。上手でテクニカルな演奏こそ、自分も楽しめてお客さんにも受けると思っていました。

最近はそうでもないんです。技術的進歩を望まなくなったというわけではない。ただ、うまくなるための練習法を追求し、表現方法についてあれこれ悩むギター弾きの姿を見ると、ぼくも昔はこういうことをいつも考えていたなあという懐かしさを憶えるようになったんです。

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演奏のうまさは、パフォーマンス向上のためのもっとも基礎的で重要な要素であるが、それがすべてではない

技術的なレベルアップを否定するつもりはまったくありません。とても大切なことです。でもそれだけがコンサートの価値や自分の音楽家としての価値を高める、という意識でずっと活動していると必ず限界が来ます。どういうことかというと、演奏の技術、表現などあらゆる点において世界で一番にならないと、この戦いは終わらないのです、極端に言えば。これはかなりつらいでしょう。

この価値観にとらわれていると、自分より年下で上手なプレイヤーが出てきたからやめる、ということが起こります。自分より成長スピードが早く、そしてすでに実力は自分より上の若造が、「ちょっと弾いてみた」みたいな感じでチャラチャラと登場した日には絶望するしかありません。

世界で一番を目指すという価値観が大勢を占めるジャンルもあります。スポーツはわりとその傾向が強い気がします。世界陸上で1位だったひと、予選落ちだったひと、どちらがより多くの注目や賞賛を集めるか考えればわかりますね。

ただ音楽はそうではない。世界一にならなくたって、いい音楽はいい音楽。逆に世界一の技術を持っているプレイヤーが必ずしもいい音楽を奏でるとは限らない。そしてこの「いい音楽」の定義もひとそれぞれ…

音楽というのはとても曖昧で、つねに揺らいでいる世界なのです。演奏のうまさというのはひとつの価値観に過ぎないのです。

演奏のうまさ以外の軸とは

では演奏の巧拙以外にはどんな要素があるか。選曲、曲間のトーク、コンサートの会場、衣装などなど… 考え出したらキリがないです。これらは全部コンサートのパフォーマンスに影響を与えます。たとえばヴィジュアル系と呼ばれるひとたちは、衣装という観点からパフォーマンスを考えているわけです。

それでも練習する

さて、少し広くなった視野であらためて技術的なレベルアップについて考えてみます。演奏のうまさは数ある価値観のうちのひとつに過ぎないとわかれば、肩の力を抜いて練習できたりするもの。練習がすべてではないと理解しつつ、それでも練習する、というときに練習のパフォーマンスは最大化されるのです。

「難しく考えるな」「肩の力を抜いて」などのよく聞くアドバイスの正体はこれだと、ぼくは思っています。

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