ラジオから自分の曲が流れるのを聴いて感じたこと2つ

最近ラジオに音源を送ったりすることが増えてきて、この前はRubinettoもお世話になったOTTAVAというネットラジオに、ぼくのオリジナル曲「二階建ての校舎」を送ってみました。そのときに感じたことを2つほど。

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ラジオで味わう本番5分前

毎週水曜に放送なのですが、コーナーがはじまる30分ぐらい前に「今日かけますよ〜」という連絡がプレゼンターの大嶋さんからあるんです。いきなり叩き起こされて舞台袖に連れてこられ、はい本番30分前〜。

ラジオだからぼくが今から生演奏するわけではないと頭ではわかっているんです。わかってはいるんだけど、こう、やっぱり緊張してしまう。

いろいろなことを思い出しました。学生時代はギターアンサンブルで演奏や指揮をしていたので、そのときの情景がありありと。入場前に心臓がうわついて、ローファーと床が乾いた音を立てる、舞台から見る客席は暗く、手汗が止まらない…

緊張する理由を考えてみたところ、ラジオであっても「観客が見える」からかなと思います。twitter、LINE、ニコ動などでリアルタイムで聴いてくれるお客さんがいるんです。お客さんがいる、と強く実感するので実際の生演奏前と同じ感覚になれる。これは楽しい。ぼくはやったことないのですがツイキャスが人気なのもこの辺に理由があるんでしょうね。

自分の曲のリスナーになった

もうひとつ思ったこと。ぼくはもともと完成後のオリジナル曲を聴くことはあまりないんです。なんというか、自分で作っただけあってメロディやコード進行から録音にいたるまでほとんど全部知ってるわけ。未知のわくわく感が少ないのです。

参考:部屋にひとつ、未知のなにかを置いておこう

今回の放送でかなり久しぶりに二階建ての校舎をちゃんと聴きました。たぶん「作る」という意識でなく純粋に聴いたのははじめてだと思います。すっと曲が入ってきました。たとえばメロディの進み方を例にとると、他人の曲には必ず1つぐらいは「お、こういうメロディのとり方をするんだ」と思う箇所、言ってみれば軽い違和感を感じる場所があります。このちょっとした違和感こそが、ぼくにとってのその曲の味になっている。それが二階建ての校舎には全くないんです。まだ作曲したころの感覚と今の感覚が近い位置にある。これが前作の「草色音符」となると、ちょっとずれてきますね。今ならこうは書かない、書けないというところが結構出てきます。

感覚を変化させたほうがいいかどうかなんてのはわかりません。変化するなら変化するし、しないならしない。それだけのことです。ただひとつ言えるのは、どちらにせよ作曲は楽しく、実りあるものだということ。そしてこれからも続けていくということ。

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