「どこでもドア」の存在に関する驚くべき証明を発見したがそれを書くにはこのタイトル欄は狭すぎる

満員電車にぎゅぎゅう詰め込まれて通勤通学するひと。低血圧で起きようにも起きられなくて遅刻してしまうひと。歩きたくないひと。「移動」に悩むすべてのひとが一度はほしいと願ったどこでもドア。そんなどこでもドアがもうすでにこの世の中に存在するとしたら… ぼくはどこでもドアについて、それが存在する、もっと正確に言うと存在し得るという結論を導きました。これは世紀の大発見なので心してお読みください。

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ドアの定義

まず、ドア(扉)とはなんなのか。これを明確にしておかないと話が進みません。用語の確認は何においても基本ですからね。ぱっと思いつくのは、壁で仕切られた2つの空間を行き来するための可動式の板、といったところでしょうか。「扉 定義」でぐぐってもめぼしいものは出てこなかったので、Wikipediaの扉の項を参考に“俺定義”してみました。

ドアとは、2つの異質な空間を人や物が行き来するための建具である

参考:扉(Wikipedia)

ドアの起源

次はドアの起源について考えます。果たしてドアはどんな要請にもとづいて作られたのか。まず空間を仕切る壁があって、その2つの空間を行き来したいという要請が発生した。つまり、2つの異質な空間があらかじめ存在して、そのあとにドアというものが作られたと考えるのが普通です。でもほんとうにそうでしょうか。必ずしも異質な空間が先、ドアが後ではないのでは。

たとえば想像してみてください。あなたの部屋に突然ドアが単体で出現したとします。あなたはそのドアを開けて通り抜ける。どうでしょう。通り抜けた先の空間は、通り抜ける前の空間とは違った印象をあなたに与えるはず。たとえもともとは同じ空間であったとしてもです。ドアがひとつの空間を2つに分けてしまったのです。

どうしてそんな印象を持つのかについては、幼い頃からの刷り込みと捉えることができます。生まれたときからこれまでに出会ったドアというドア、そのすべてが2つの異質な空間を仕切る場所に設置されていましたよね。どんなドアもほぼ例外なく。こういう経験の積み重ねが、「ドアは2つの空間の狭間に位置するものである」という認識をぼくらに刷り込むのです。そしてそう刷り込まれてきたぼくらは、ドアを見ただけで、あるいは通り抜けただけで異質な空間間を移動したと認識してしまうようになったのです。

異質な2つの空間を認識するとはどういうことでしょう。異質な「2つ」の空間を「見る」とき、ぼくらはすでにその2つの間にある境界線を意識することができる。2つの空間を俯瞰しているわけです。もしこの2つの空間の存在を認識できていないのであれば、ぼくらにとって唯一存在するのは、ぼくらがいま、ここにいる方の空間のみです。それとは異なる空間など存在しようがない。

話が込み入ってきました。これは宇宙を例にとるとわかりやすいかもしれません。ぼくらがいまいる宇宙の外(?)に別の宇宙がある、と想像することはできるけれど、どこからがその別の宇宙ですよ、という境界は見つけようがない。そういう意味で別の宇宙は「存在しない」のです。逆にいえば、境界さえあれば別の宇宙が存在する可能性が出てくる。

境界(ドア)と2つの空間は表裏一体なのです。

どこでもドア

さて、いよいよ核心に迫ります。つまりどこでもドアとはなんなのか。結論を言うと、空間上のどんなポイントもドアになり得るということです。どこでも、ドア、なんです。

あなたの部屋を半分に切ってみてください。

いま想像上の境界線を思い浮かべましたよね。新しい境界線が生まれた。それはつまりドアが生まれるのと同じことなんです。ドアの定義のところで「人や物が行き来するための」という文言がありました。境界を創造して行き来すればいいんです。ほら、ドアが生まれた。そしてその新しく生まれたドアが境界線、そして2つの空間の異質性を強化する。あなたがなんとなく引いた、部屋を半分に切る線はそうやってひとりでに成長し、異質な2つの空間を生成するのです。

あなたが1本の境界線を引けば、そこはドアになる。どこでもドアなんです。ノーベル賞間違いなし!

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