歌詞のある曲と歌詞のない曲について考えようとしたらひらめきがやって来なかった件

世の中には歌詞のない曲があります。ぼくはこの歌詞のないインストゥルメンタルの曲ばかりつくっているので、ほんとうはこう言いたい。「この世の中には歌詞の付いた曲というものがあります」でもいろいろなところから怒られそうなのでそっと心の中にしまっておきます。

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それはさておき、歌詞のある曲、ない曲の聴き方の違いについて考えてみようと思います。この「考えてみようと思う」がポイントで、いまこの記事のこの部分を書いているぼくは、まだ今日のテーマについて1㍉も考えていません。論文のタイトルだけ決めて飽きてしまった教授の尻拭いを学生がするような感じです。うーん、たとえがよくわからん。脱線終わり。

ほんとうは「歌詞」とか「曲」を“俺定義”してからはじめたいんですが、そんなことをしているといつまで経っても議論の本題に入れそうにない。いまだって、ほら、関係ない話をこんなにだらだらとしている。でもぼくはこの、本題の周辺をうろうろしている時間っていうのが大事だと思うんです。この間にもぼくらの脳や身体はちゃんと本題について(無意識に)考えていて、あるレベルに達するとポンとそれを提示してくれる。それをぼくらはひらめきと呼ぶんじゃないでしょうか。ちゃんと下準備があってのひらめきなのです。

ちなみに、このひらめきを得る瞬間っていうのはなかなか乙なもので、考えていることとは全然関係関係ないものを見たり聴いたりしているときにふっと降りてくる。「降りてくる」というのはぼく個人の感覚です。ひとによっては「湧いてくる」タイプもいると思います。

参考:アイディアがわーっと降ってくる瞬間。「アイディア流星群」を観察してみた

でもよーく観察していると、やっぱり「見たり」「聴いたり」したときにひらめくことが多い。匂いを嗅いだり、おいしいもの(まずいもの)を味わったり、手や足を動かしたりしているときにひらめくことはあまりないのです。不公平だ。

いかん、また話が違う方へ行ってしまう。こうしている間にもちゃんと歌詞のある曲とない曲の違いについて考えているんです。ちゃんと。さぼってなんかいません。ただし、この脱線話がしだいに大きくふくれてきて、そっちを書くことに意識が向いてしまうとだめですね。あくまでも流れに身を任せて、一定のリズムで脱線しているときが一番いい脱線なのです。

脱線についてなんか書くつもりじゃありませんでした。どうしましょう。もうすぐ1000字越します。あ、いま越しましたよー。今回はひらめきがやって来なかった、ということで勘弁願いたい。次回以降の宿題にします。

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