毎日歩いているなんて幻想だ。ぼくらがほんとうに「歩く」とき

ふと気になったことがあります。「歩く」という言葉について。ぼくらはほとんどの場合、毎日歩いています。家から一歩も出なくても歩いています。

「歩く」という言葉を何気なく使うけれど、ぼくはこの「歩く」という語感が持つほどの「歩く」動作をしているのだろうか。ここが気になってしまった。たとえば想像してみてください。自分の部屋からキッチンに行ったとします。このときあなたはおそらく歩いて移動したでしょう。このときあなたは本当に「歩いた」という実感を持ちますか?

こう言われてから歩けば、少しは歩くことに意識が向くかもしれません。でも普段の生活ではそんなことはない。無意識のうちに移動しているのです。そう、「移動する」という語感の方がしっくりくる。

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「移動する」と「歩く」の語感の違いはなんだろう

まず、「移動する」と言うと、イメージ的には身体運動を伴うものでは無い気がします。電車やバス、エスカレーターやエレベーターなどの乗り物に乗って、ある地点から別の地点へ行くこと。街中で小学生が、「ねえママ、あのおじさん移動してるよ」と言えば、「しっ、見ちゃいけません」と目を塞がれそうな感じがします。なにかこう、おじさんは自分の力で動いているのではなくて、なにか別の力によって動かされているように聞こえます。見るからに怪しい。そりゃあ子どもには見せたくないです。

一方、「歩く」はどうか。「ねえママ、あのおじさん歩いてるよ」はまあ納得できます。小学生がどうして歩くおじさんに注目したのかは気になりますが、そんなにおかしな雰囲気にはなりません。自分の二本の足で(二本とは限らないかもしれません)、一歩一歩進んでいるという印象を持つ。

さて、「移動する」と「歩く」という2つの動作を外から観察した場合の語感の違いについて考えました。それではこれらの動作を自分で行うときはどうか。自分が「移動する」、あるいは自分が「歩く」場合です。

「移動する」はやっぱり乗り物に乗るイメージが一番に浮かびますね。これは外から見た視点と変わらない。「歩く」も同じです。自分の身体を動かす、という意識がある。

さあ、ここからがぼくの疑問点です

朝起きて、とりあえず顔を洗いに洗面所へ行く。このときぼくは歩いているのか、移動しているのか。

ぼくの感覚では、洗面所へ向かうぼくは移動しています。足を使って移動している。歩いてはいないと思います。なぜなら洗面所で顔を洗うという外部の目的に引っ張られているから。別の力によって動かされている感じが強い。とくに自室から洗面所という、短距離でとくに考えるような動作でもないものはそういうふうに感じるのです。

こう考えたとき、ぼくらがほんとうに「歩く」ときってどのぐらいあるんでしょう。あなたは通勤や通学のとき、「歩いて」いますか。ここは意見が分かれるところかもしれませんが、ぼくは「移動する」より「歩き」たい。自分の身体を動かしているという実感を得ながら。

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