子どもの世界は狭いと決めつける大人の世界が狭い

大人になると子どものころからずっと住んでいる街のことを、実は忘れてしまうんじゃないかと思います。どうでしょう、思い当たる節がありますか。ないですよね。ではこう言い換えてみます。子どものころ毎日通っていた公園のジャングルジムの色、憶えていますか。

スポンサーリンク
レクタングル大

広く、浅い大人の世界

ジャングルジムの色ぐらいなら憶えているひとも多いかもしれません。でも公園で毎日のように遊ばなくなって久しいぼくらは、公園のことをだんだんと忘れていってしまうものです。たとえ公園が変わっていなくとも、毎日通勤や通学でその公園を通っていても。

公園に限らず、子どものころ通っていた通学路の様子や、ダイニングテーブルの色あい、寝室の天井の木目の入り方など… いまも毎日目にするもののこと、忘れていますよね。

子どもの世界は、行動範囲として客観的にみれば狭いです。電車に乗って遠くまで行くことは大人に比べたらあまりないでしょうし、車はそもそも運転できません。でもそれをもって、子どもの世界が狭いと言うのは違う気がするのです。

狭く、深い子どもの世界

子どもは自分の行動範囲内のことはなんでも知っています。たとえば小学校の敷地内のどこにどんな木が生えているか、その中で登りやすいのはどれか、などなど。ところが中学、高校と成長するにつれて、学校の敷地内のことについて知っているものが少なくなる。大学ともなると(面積が大きいのもあるが)敷地内の半分ぐらいは行ったことのない場所なんじゃないでしょうか。

それは単に、子どもから大人になるにつれて興味関心の対象が変わったからでは、という反論が聞こえてきそうです。ええ、まさにその通り。興味関心の対象が変わっただけなんです。大人になったから視野が広がったとかいうわけではないんです。大人の持つ世界の豊かさと同じ程度で子どもの世界も豊かであり、大人の持つ世界の貧しさと同じ程度で子どもの世界も貧しいのです。

だからぼくは、大人が一方的に子どもの世界は狭いと決めつけ、「教育してやる」といった態度で接するのはおかしいと思うんです。

「大人になればわかるよ」という大人には、「子どもになればわかるよ」と言い返しましょう。この反撃は相当のダメージがあるはずです。子どもは大人になれるけど、大人は子どもになれない。この反撃が効かないような大人がもしいたら、そのひとはそもそも大人じゃないんじゃないでしょうか。

スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする