等身大の哲学者を覗いてみよう。野矢茂樹『哲学な日々』

本屋をぶらぶらしていたら、また本を買ってしまいました。寮の棚(たぶん本棚ではない)がもうすぐ本でいっぱいになってしまう。自重、自重と思っていてもつい買ってしまうんですよね。そういう魅力的な本のひとつを紹介します。

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野矢茂樹『哲学な日々』

本屋にいくとぼくはだいたい思想・哲学の書架を見に行くのですが、その平積みの台にやたら軽そうな本がちょこんと1冊だけ置かれていました。1冊だけっていうのがまたなんとも。これが何冊も山積みになっていたら買っていなかったかもしれません。

まあそれはいいとして。気に入った箇所を少しメモしておきます。

考えることについて書かれたところ。

単純な例だが、何かを食べようと思い、少し考えてチャーハンに決める。考えているしばしの間、私はとくに何かをしたわけではない。ただ、答えを思いつくのを待っていただけである。そう、この「待つこと」こそ、考えることにほかならない。

哲学系の本とは思えない軽さ。本そのものも軽いけど文章も軽快です。それもそのはず、前半の「哲学者のいる風景」は西日本新聞に連載されたエッセイなのです。

そしてこの軽さに加えて、哲学者が悪戦苦闘しながら哲学するという、普通の哲学書では教えてくれない等身大の哲学者を見せてくれるのです。たとえばこんなシーンがあります。

かつて、ある授業で、難しい哲学問題に私自身分からなくなってしまい、しどろもどろ、冷や汗をかきながら終えたことがある。失敗した、そう思って教室を出ようとしたそのとき、あろうことか一人の学生が、「先生、今日の授業、分かりやすかったですね」と言ってきたのである。

きちんと準備された授業より、問いに立ち向かう自身の姿を見せることで学生と対話するほうがうまくいった、というエピソードなのですが、ここを読んでぼくは、なんというか、安心に近い感想を持った。ああ、哲学者も人間なんだ、そしてぼくも自由に考えていいんだ、と。

哲学が難解なイメージを持たれがちなのは、やたら難しい専門用語や昔の偉大な哲学者の言葉を知っていないと哲学じゃない、と思ってしまうところにある気がしています。ぼくが実際そうでした。カントがこう言った、ニーチェはああ言ったということを知識として持たなければいけないと思っていた。

もちろん学術的な成果を求めるならそういった知識は不可欠だし、成果を求めなくても知識が自分の理解を助けてくれることもあります。でも、それに尻込みする必要はないと気づいたんです。ぼくは学者じゃありません。自由に考えていい。こういった理解を補強してくれる本です。

なるほど話法

ちなみにぼくはこの野矢先生に、大学1年のころ駒場でちょっとだけ教わったことがあります。半期かけて論理トレーニングというのをひたすらやりました。けっこう楽しかったなあ。

その反動なのだろう、高校に入ったらまったく勉強しなくなってしまった。なるほど留年はしなかったから完璧にまったくではなかったかもしれないが、10段階の2などという成績(もちろん10が一番よい)を平然ととり、試験ではかなり最後尾の順位だった。

ちなみに、先生の「なるほど〜が、〜」というきわめて論理的な口癖(だと思うんですが)がこの本を読んでるとひょこっと顔を出すんです。思わずニヤッとしてしまう。授業中もよく言ってましたね。懐かしい。

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