飽きない音楽のつくりかた。作風を変化させるという作風

普段の生活でもそうですが、ぼくらは安定だけを求めるのでも変化だけを求めるのでもないですよね。両方いっぺんにほしい、わがままな生き物なんです。毎日同じ家には帰りたいけど、毎日同じ仕事の繰り返しはイヤだ。安定がベースにあって、その上に変化が乗っているとき、好調だと感じます。

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安定しつつ変化も求める矛盾した生き物

音楽でも同じことが言えます。毎日同じ曲を聴くのは飽きるけど、同じアーティストのほかの曲は聴きたい。つまり同じ曲をずっと聴くのはイヤだけど、同じ作風という一貫した安定性のなかで、個々の違う曲を楽しみたいということです。

じゃあずっと同じアーティストの曲を聴いていれば満足かと言われればそんなことはないはず。いつかはそのアーティスト、つまり作風にも飽きてしまうときがくる。こちらのほうはかなり長いスパンだとは思いますが。

ひととおり自分の曲を楽しんでもらえればいい、というスタンスの場合はそれでいいでしょう。自分のつくりたいものをつくるのがいちばん。ただやっぱり、一度聴いてもらったからには長く聴いてもらい続けたい、と思うときはどうすべきか。

「変化」を作風に取り入れよう

音楽に限った話ではありませんが、視聴者(消費者)がこういう作風を求めているからずっとこの作風で行くんだ、と決めてかかった結果、どんどん売れなくなったり、何をつくっていいのかわからなくなったりする例は山ほどあります。家電とか。

そうならないためには、作風の変化そのものを作風の中へと取り込んでしまえばいいのです。

最初に、安定がベースで変化がウワモノ、という話をしました。作風を変えるというのはこのベース部分を変えるということ。それでは安定も求める視聴者を満足させられないのではないか。毎日違う会社で違う仕事をし、帰る家も時間もバラバラ、というめちゃくちゃな生活を視聴者にさせてしまうのではないか。ここでキーになってくるのが「誰が」つくるか、です。

どんなに作風が変わろうが、つくっているのはあなた

作風をいくら変えても絶対に変わらない唯一のこと、それは誰がつくったかというアーティスト自身に関する情報です。ここをベースにすればいい。アーティスト自身も作品の一部となるわけです。

「こんな生き方をする私が、こんな作風の曲を書きました。つぎはあんな作風の曲を書きます」これで安定と変化の二重性が保たれます。

アーティスト個人のことをもっと公開していくといいと思うんです。アマチュア、プロ関係なく。曲そのもではなく、曲とそれをつくりだしたアーティストのセットで好きになってもらう。

ちなみにぼくはこう見えて欲張りなので、ぼくの音楽を長く聴いていてほしいと思っています。そのためにいろいろな試行錯誤を毎日しているのです。

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