「心配かけてごめん」という気持ちがわからない

あなたの周りにいませんか?「心配かけてごめん」とよく言うひと。ぼくの周りにもちらほらいるんです。

本人はほんとうにそう感じていて言ってくれてるんだと思うのですが、ぼくはこの感覚がいまいちわからない。これを言われるたびに「お、おう…」と戸惑いを隠せないでいます。

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心配するのは他人の勝手

どういうことかなーと、ぼくが他人から心配される場面を想像して考えてみたのですが、結局のところ「ぼくのことを心配するのは他人の勝手」だと考えているようです。別にこちらから心配してと頼んだわけじゃないんです。この根底には他人がぼくのことについてどう思おうが自由だ、という意識がある。

だからたとえぼくが本当に心配されていたとしても「心配かけてごめん」と謝ることはない、と思ってしまうんです。いやいや、あなたが勝手に心配してただけでしょう… と。

文字にするとすごく冷たい人間みたいに見えますね… でもこれが実感なんですからしょうがない。それに、心配してもらえるのは嬉しいですよ。ただそこに「謝る」という意識がないだけ。

「心配してくれてごめん」のひとは、他人を心配させてはいけないという意識が強いんじゃないでしょうか。うーん。少し考えてみてください。他人を心配させないように生きる人生をあなたは生きたいのでしょうか。

ぼくはそんな人生を送るひとが心配です。

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心配してくれてありがとう

もう少し考えてみました。

「心配してくれてありがとう」なら理解できるし言うかもなと思います。これなら言われた方も、自分が勝手に心配してたけどそれが相手にとっては嬉しかったんだな、と理解できますよね。謝らせてしまったという気詰まりな感じもない。うん、これならすっきりです。

実際に心配はしていなくても「ありがとう」ならモヤモヤ感も薄まるでしょう。場合によっては笑って「いやいや心配してないし」と流してしまうこともできます。

「ごめん」と「ありがとう」の差

結局のところ距離感の問題なのかなと。「ごめん」のひとは相手の気持ちの持ち方にまで踏み込んでいるけれど、「ありがとう」のひとはちゃんと個として対等にコミュニケーションしている。そんな雰囲気を感じます。

「ありがとう」の付き合いができる人間になりたいものです。

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