集中することで得られる一番大切なもの、それは充実だ

集中するってどういうことだろう。時間が経つのも忘れて勉強や仕事、趣味などに没頭することって誰でもあると思います。ぼくは「集中」と聞くと、学校の試験やコンサートでの演奏を真っ先に思い出しますね。

今日は集中についてぼくが考えたことを2つほど。

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集中しているときは「集中」について考えない

たとえば学生時代。充実した学生生活だったと思えるひとは、実際にあなたが学生だったとき、いま充実してるかな とか考えたことありますか?あんまりないはずです。そういう自分についてのメタ的観察をしている時点で、その瞬間に集中していない、つまり充実していないんです。メタ的発想をしない学生時代は、だからとても輝きを放って見えるわけ。

それがいつからか学生時代はよかったなあと言い始めてしまう。学生時代はよかったなあ(それに比べて今は…) という今に関するメタ認知をしている時点で、もう今に集中できていない。こんな状態じゃあ今が充実することはありません。

集中するとは、過去に思いを馳せず、未来に期待をかけず、ただ黙々といまを生きることなのです。

それをあとから振り返ったとき、ああ、あのときは充実してたなあと思うのです。

頭でなく身体で集中する気持ちよさ

今に集中するとどんないいことがあるのでしょう。

一般的には、集中すると物事が早く進んだり、成長スピードが上がったりすると考えられています。つまり集中した結果について語る場合が多いのです。

でもぼくは、集中して得られた結果より、集中することそのものの方がずっと大きな価値を持っているんじゃないかと最近思うようになりました。

かなり抽象的かもしれませんが、現時点での実感は、いまの動作に集中するのが一番の充実だということ。簡単に言うと身体を使えってことです。

  • 身体の思考、行動スピードが頭脳の思考スピードを越える感覚。
  • 思考が身体の行動を促すのではなく、身体が思考を促す、そういう役割分担になっている感覚。
  • 決して本能の赴くままというわけではなく、ちゃんと頭脳で制御するのだけれど、あくまで主体となっているのは身体のほうという感覚。

ぼくらはつい頭でっかちに考えすぎてしまって、身体の声に耳を傾ける余裕を失っている。でも今に集中した充実を得たいなら、この声は聞き逃してはいけない。そう思います。

よく「もっと集中して」とか「集中力があればなあ」なんて言われたりしますけど、その主題である「集中」そのものについてはあんまり教えてもらえない。自分で考えるしかないんです。

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