”大人の文化祭” 床張りワークショップで生活と仕事を考える

床を張ってきた。

全国床張り協会のワークショップが徳島県の山にある古民家で開催され、大阪からはるばる玄能を持って駆けつけた。床張りワークショップへの参加はこれで2度目である。

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大人の文化祭では、

傷んだ家の床を張り替えるだけのワークショップに行くと言うと「なんでそんなことにお金を払ってまで…」という顔をされることが多いのだが、そうじゃないのだ。床張りは楽しい。とても。ひとことで言えば「大人の文化祭」である。

基本的には遊びなのだ。いや、作業はめちゃめちゃ真面目にやり緊張感を持って取り組むのだが、たとえば会社にあるようなガチガチに押さえつけられた達成すべき目標みたいなものは存在しない。合宿期間中に床を張り終えるというゆるやかな目標があり、みんなでほどほどに働きながらそれを目指す。

そのような場は失敗やミスに寛容である。失敗しながら技術を習得していく。

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分業ではなく全体がある。競争ではなく協働がある。

あまりにも分業が幅をきかせるようになった現代では、0から10まで全部自分ひとりで行う仕事のほうが珍しくなってしまった。

たとえば、ある製品を作るのに100の工程が必要で労働者が100人いるとする。その労働者を工程毎に配分してそれぞれ同じ工程だけを100回繰り返させるのと、100の工程を一人ひとりに全て自分で辿らせるのと、労働者にとってはどちらが楽しいだろうか。その製品を自分でつくった感じがするのはどちらだろうか。

社会に出て身を粉にして働くうちに、分業と競争によるシステムが唯一のもので、他のシステムは存在しないと思い込むようになるのかもしれない。

ぼくは、分業ではなく全体があり競争ではなく協働があった場所として、学生時代の文化祭を真っ先に思い出した。そこではみんなでゆるやかに協力しながらクラスの出し物を成功させればよい。さぼる人がいても(多少は)大丈夫。気持ちのよい働き方がどんなものか、学校はきちんと教えてくれていた。

今となっては記憶の中にしかない空間を、床張りは思い出させてくれる。

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生活を組み立てられるように、

生活に関するさまざまな労働を効率化して、時間的自由を得ようとしてきた。だがそのおかげでぼくらの労働時間は減っただろうか?

生活に関する労働時間は確かに減った。洗濯も掃除もボタン1つ押せば機械が自動でやってくれる。便利にはなった。だがその便利さを享受するにはお金が必要なのである。今度はそのお金を獲得するために生活とは別の労働に携わらなければならなくなった。

さらに、生活を機械に任せてしまったツケとして、ぼくらは生活をどう組み立てていったらよいかを忘れてしまった。どうやって食料を調達し、寝床を確保し、あたたかく過ごすかということを言いたいのだが、「生活を組み立てる」というフレーズは現代では家計のマネープランをどうするかという意味でしか使われない。

生活のためにお金がいる。これを否定するつもりは全くない。しかしつい100年や200年前に想いを馳せると、お金をかけずに生活する能力は現代人よりはるかに高かったと思われる。完全自給自足とまでは言わないが。

お金を稼ぐのをやめて自給自足の生活をしよう、と言っているわけではない。現代社会に否応なく組み込まれ、そして自分自身も現代社会であるぼくらにとって、お金を使わずに生きていくのはかなり難しいだろう。そうではなくてもっとゆるやかに、お金は稼ぎつつ一方で生活を組み立てる力も身につけたら強いと思うのだ。

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背水の陣にならないように、

お金がなければ生活できないと思い込み、あるいは実際にそうであって、いわば生活を人質に取られている。この状態ではもし会社で劣悪な労働環境に晒されていたとしても簡単にやめることができない。

多少お金がなくても生活を組み立てられるようになっておくと、ヤバくなったらいつでも逃げられるという安心感が生まれる。これは非常に心強い。

背水の陣というのは火事場の馬鹿力的な戦い方であって、平時から常に背水の陣で戦えばすぐに崩れてしまう。人間はそんな特殊能力を持っていない。

いろいろな生き方を観察する。

他人がどういう暮らしをしているか、つぶさに観察することだ。自分のまわりにいるひとたちは自分と同じような生活を営んでいる可能性が高い(類は友を呼ぶ)。

しかし自分とまったく縁のない世界にいるひとたちは、想像もしなかったような暮らしをしているかもしれない。そういうのを全部ひっくるめてたくさん観察するのだ。観察したぶんだけ、いざというときの選択肢が豊かになる。

背水の陣から抜け出す第一歩は、いろいろな生き方を知ることから。

外部リンク:全国床張り協会

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『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』

全国床張り協会をを主宰している伊藤洋志さんの著書。ワークショップの参加者は、ぼくも含めだいたいみんなこの本が床張りへの入り口となっているようだ。

個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。

これからの時代は、一人がナリワイを3個以上持っているとおもしろい。
(『ナリワイをつくる』 冒頭)

楽しく支出をカットし、生活自給力を高め、小さな仕事をつくっていくための指南書である。仕事をつくる、というと起業だのビジネスだのといったワードを思い浮かべてしまうが、ここで提案されているのはそういう血の気の多い仕事ではない。タフでグローバルな競争環境からは距離をおきたい「非バトルタイプ」のひとのための仕事づくりである。

伊藤さんは、自身が実験体となってさまざまなナリワイを開発し実践してきた。ナリワイとはどんなものでありどんなものでないのか、日常の中からナリワイを育てるにはどうすればよいか、といったことが実践例をまじえながら語られる。

途中、ナリワイ10か条というナリワイ実践における簡単なきまりのようなものが提示される。そのうちぼくが気に入っている3つの項目を挙げておこう。

  • 家賃などの固定費に追われないほうがよい。
  • 専業じゃないことで、専業より本質的なことができる。
  • 頑張って売り上げを増やさない。

(『ナリワイをつくる』 p72)

これだけでも本の匂いが感じられるだろう。中身が気になる方はぜひ書店で手に取ってみてほしい。想像もしなかった選択肢がきっと見えてくる。

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