ヘビーローテーションとは曲を育てることだ。聴き手によってつくられる音楽

先日アルバムがヘビーローテーションされる条件という記事を書いたが、実はヘビーローテーションの先にもっと豊かな世界が広がっているのではないかと思うようになってきた。

4割濃いめ、6割薄め。アルバムがヘビーローテーションされる条件
こんな仮説を立ててみた。 音楽アルバムは、刺激の強い曲が4、刺激の弱い曲が6の割合で含まれているとヘビーローテーションされやすい。 ...
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聴きこむタイプ

ぼくはどんなジャンルのものでも、ハマったらそれだけをとことんやり込むというタイプだ。ゲームはほぼポケモンとソニックしかやったことがない。当時持っていた汎用ゲーム機(ゲームキューブ!)はほとんどソニック専用機だったので、汎用性が生かされることはなかった。

音楽についても、あるジャンル、アーティストにハマれば年単位でずっと聴いていられる。高校生から大学生にかけてはほぼ押尾コータローのアルバムしか聴いていなかった。

生活の一部となる音楽

「よく退屈しないね」と言われることもあるが、たぶん音楽を聴くという行為に対する考え方がちがっているのだろう。ぼくだって何年も聴き続けている押尾コータローをスピーカーの前でじっくり聴きなさいと言われたら退屈したはずだ。

そうではなくて、BGMとして聴いていた。BGMとしてでなければ何年も聴き続けるのは難しい。BGMをスピーカーの前でじっくり聴きなさいというのは、お風呂に入るときの身体の使い方を意識化しなさいと言われているようなものなのだ。

こうして押尾コータローは生活の一部になっていた。

聴き手が曲を育てる

アルバムがBGMとして流れているときは、リスナーはなにか別のことをしている。それは仕事だったり散歩だったりするかもしれないが、ふと音楽に注意が向く瞬間がやってくる。

たとえば、散歩の最中に綺麗な夕陽を見たとする。ちょうどこのときイヤホンからその場にぴったりの哀愁漂うBGMが流れてくる。

思うにこの瞬間こそ、音楽がリスナーの血となり肉となる瞬間だ。ぼくはこの瞬間を味わうために様々な音楽を聴き、CDを買い、プレイリストをつくり、日々曲をヘビーローテーションしているのだ。

ヘビーローテーションする=曲を育てる

と言い換えられるかもしれない。曲づくりは決して作曲者の特権ではなく、聴くひとの耳によってもつくられる。そしてこのプロセスは完全に個人的なものなので、まさしく世界にひとつしかないオリジナル曲となるのである。

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