疲れたときは役に立たないことをしよう

役に立たないことが生命力の源となる、という仮説を持っています。

ぼくらは会社や学校などのあらゆる場面で、将来の役に立つことや世の中のためになることをしなさいと圧力を受けています。少しでも役に立たないことをしようとすれば、それはすぐに No Value の烙印を押されて闇に葬られてしまう。

もちろん将来の自分のため、周りの人々のために役立つことをするのは素晴らしいこと。でも毎日毎日、役に立つことばかり考えていると疲れてしまうと思いませんか。

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役に立たないとき、つらい

役に立つことが疲れを招く原因は、それが役に立たなかったときに現れます。役に立つと思って努力していたのに、蓋を開けてみると役に立たなかった。あるいは役に立つ瞬間がいつまでたってもおとずれない。

たぶん誰にでも思い当たるフシがあると思います。

たとえば、大学受験のために昼夜を分かたず勉強していたが、志望校に合格することができなかった。毎日ダイエットに励んでいるのに体重がなかなか減らない。などなど…

役に立つと思っていたことに裏切られたときのモチベーションの低下はすさまじい。期待していたぶん、ダメージも大きくなってしまうのです。日々の生活がこの役に立つことを中心に営まれていた場合、なにをするにもやる気が起きなくなってしまうかもしれない。

こういう事態に陥らないよう、役に立つことから自分を解き放つ訓練をしておきたいと思うのです。

役に立たないことを生活に取り入れる

たとえば、ぼくは徒歩通勤の日は必ず近所の神社でお参りするのですが、これはあまり役に立ちません。神頼みをしたからといって、ただちに富や権力や名誉が湧いてくるわけではありませんし、健康祈願は日頃の行いによってしか成就しないことを知っています。

それでもなお神社に通うのは、役に立たないことをしておきたいという無意識の現れだと考えています。というのも、ぼく自身、気をつけていないと仕事もプライベートも役に立つ(と思う)ことで埋め尽くしてしまうタイプだから。

調子のいいときはこれでもうまくいきますが、一度バランスが崩れると自分がやってきたことに絡め取られてしまう。生活リズムは好調のときよりも不調のときをベースに組み立てていくほうが長持ちする、ということなのです。

ふだんの行動がいつのまにか役に立つことばかりになってしまっている。それでどうもうまくいかないな、身体の調子がおかしいなと思ったらあえて役に立たないことをしてみる。

「役に立つ」という呪縛から解放される瞬間は、新緑の香りのように清々しいものです。

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